当初は3月26日の退役が予定されていたんだけど、
東日本大震災で道路も鉄道も寸断された被災地を空でつなぐために、その運行を2ヶ月ほど延長。
そしてようやく、日本の空を飛び回った翼は5月31日の青森⇒羽田がラストフライトでした・・。
・・ということで、6月5日の日曜日。
羽田空港のハンガーで、社員とその家族、OBやOGが集まって盛大に催されたのは、
『 ありがとう! ろっぴゃく! 』 と銘打ったA300−600Rのお別れ会
友人達も大勢来るっていうので、あんちゃん妻といっしょに行ってきましたよ^^
企画した有志のひとたちによれば・・・、
こんなにたくさんの人たちが集まるなんて予想もしてなかったそうで、この飛行機に対する思い入れの強さにビックリしていたようでした。
とりわけ、整備に携わった人たちにとってはまさに我が子同然なんだとか・・。
こんなに盛大に見送られて飛び立つんだから、感無量なんだろうなぁ。
役目を終えたエンジンもカバーをぱかっと御開帳^^、みなさん興味津々の様子でしたよ〜。
キャビンの中でも、大勢の参加者が名残惜しそうに記念写真を撮ったりしてたな〜^^
子供達はこぞってアナウンスを入れてみたりとか、いい思い出作りになったみたいだね。
あんちゃんも、ここぞとばかりにライフベストを着て記念写真を撮ってしまった(笑)
飛行機の周りをうろうろ歩き回ってたら懐かしい友人知人とも出会ったりして、
ちょっとした同窓会のようでした(^^
それにしても、こんな機会なかなかないよね! いやぁ楽しかったなぁ〜 ♪
名残惜しいけど・・・、ありがとう! ろっぴゃく!! また会う日まで。
日本での役目を終えて、再び世界のどこかでたくさんの人たちを運び続けていくんでしょうね。
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私はエアバス社の飛行機に乗ったことあるかなぁ…
それにしても、過酷な条件で20年間も飛び続けるなんて、飛行機ってすごいですね。
以前、整備さんとお話した時に(飲み会で…^^;)、飛行機はけっこう手作りなんだというお話を聞きました。
と同時に、ほんとに飛行機が好きなんだなぁとも思いました。
いろいろと厳しい状況ではあると思いますが、空にあのマークが戻ってきたことを懐かしく思いますし、新たなスタートへの決意も感じます。
私も挑戦したことのある会社ですし、今後もこのブランドを守っていって欲しいと願っています。^^
とっても大盛況ですがこの飛行機に思い入れのある人にとっては寂しいでしょうね。
見慣れている飛行機ですが、
こんな風に近くでマジマジ見たことなんてありません。
関係者だけとは言わず、セントレアなどでも
こんなイベントを開催して欲しいな〜。
エンジンも玉ねぎみたいに輪切りになっておもしろい^^
かつてTDAと呼ばれた東亜国内航空から
日本エアシステム、日本航空と長きに渡って活躍したA300という飛行機。
羽田から地方路線を主に就航していたせいか、
帰省や旅行にと学生時代から親しみのある航空機でした。
ジャンボよりも愛着があるかも・・・^^
臨時代航というかたちで3月からつないだアンコールという舞台も
ようやく終幕を迎えてたって感じですね。
みなさんに送別されて、整備さんもうれしかったでしょうね。
近くで見れば見るほど、こんなデカイものがホントに空を飛ぶのか??
・・と、しみじみ感じてしまいました。
飛行機を洗うアルバイトをしていた大学時代以来の格納庫でしたよ。
羽田空港では、主に子供向けの格納庫見学ツアーなんてのもあるようですよ。
セントレアはどうなのかな?
なかなか近くでじっくりと見る機会もないので、こんな催し大歓迎ですね^^
多分私は搭乗したことはないと思いますが
また1機日本の空から消えるのですね。
こんな至近距離から大型機を見たことは
有りません。 いいなあ〜〜と嫉妬しています。
JALの整備は万全ですからまた地球のどこかで活躍してくれるでしょう。
ご苦労様でした。
この機材は、1991年から導入した22機のA300-600Rの中で
5月中旬の時点で稼動可能だった最後の2機のうちのひとつだったそうです。
手元の資料によれば、2002年に導入されたようなのでJASから受け継がれた機材のようですね。
まさにラストの青森から飛んできたA300は、ゆっくりと翼を休めてるようでした。
ちなみに・・、この様子は今月号の月刊エアラインという雑誌に掲載されるそうですよ。
こっそりと写ってるかもしれません(笑)